情熱、強烈。
そういった形容の言葉がどれも当てはまらない、
感覚が体内のどの神経ともマッチしない国キューバ 。
沸点が異なる地。
透明度の高い、直に照る太陽は
瓦礫を舞い立たせるのに十分だった。
浮かび上がった埃は、人を輝かせる。
彼らがそれら粉塵を纏って踊れば、生温かい空気が醸造される。パサパサとした質感の2階の窓から下を覗くと蒸発された生っぽい空気が漂っていた。
3日目、私の血液はザラザラとしていた。昨日のパンは、砂漠のオアシスに放り込めば、
一瞬で枯渇させてしまいそうな塊だった。プラスチックのようなソーセージの艶と、外に置けば5秒でバターと化すであろうハムの油分を持ってしても、石のようなパンはその強度を保ち続けた。
東京から持ってきた花林糖が底をつきそうだ。
インターネットもクレジットカードも使えない労働階級のエリアにある掘立小屋では、私が何処からきたかのリマインドを送ってくれる司令塔の役割も担っていた。
キューバの人はこのカリカリとした食感とか、噛み締めると砂糖の粒が砕けるのとか、そんなのどうでもいいんだろうな。バサバサのパンを片手に「甘いね。」シンプルな答えだけが返ってくる。
キューバ滞在中、喉や、皮膚、血液にザラついた詰まりを感じたのは、あまりにこの地がドライと湿気の間で上手に暮らしていて、快適とか便利とか、そんなものの中で暮らす私の器官では濾過出来なかったからだ。
感じる沸点がそもそも違うのかもしれない。
みんながそういった空気を纏っているから、5日目も猛烈に喉が乾くことはなかった。そして私の渇きがなくなることはなかった。